なるべく考えずに資産運用を行うメリットは2点挙げられます。
- 1. 移ろいやすくて脆弱な感情を排することで底値売りや高値づかみのリスクを減らせる
- 2. 日々の心理的負担が減る
考えないというと積立投資が代表的です。ダウの犬戦略なんかもこれに準ずるでしょう。最初に道筋(戦略、アセットアロケーションなど)を決めて、あとは愚直にそのとおりに実施していくというやり方です。これのキモは最初に決めたことを疑わずにやりぬくということです。
疑うにしても正しい疑いを持ち、そこから適切に対応する必要があります。たとえば現在米国株は高値圏だと言われています。今はセルインメイのアノマリーによって上値が重いだけで、年末にはまた上がる目はないんでしょうか。持った疑いを支持するエビデンスは探せばあるでしょうし、逆のエビデンスもまた存在しうるでしょう。
そのうえ、もし様々な要因を考慮して本当にそう思うのであれば「高値圏」であるうちに全資産を現金化しておくべきでしょうし、4割程度正しいと思うなら4割程度売却すべきでしょう。疑うだけで何もしないのなら疑問を持つ意味がありません。評論家ではなく投資家だというのであれば当然です。
疑問は自分で持つ(ないし発見する)必要がありますし、それへの判断は自分でしなければなりません。判断した結果に従ってポートフォリオを実際に見直すまでやって初めて疑問は価値を持ちます。その上で本当に自分が判断したとおりになる保証はどこにもないので、裏目に出ることは覚悟しておくべきです。
しかしそもそも「米国株は高値圏なのではないか」という疑問は考慮に値する疑問でしょうか。2008年ごろにサブプライムローンのリスクに疑いを持つといったような、正しい疑問を持つこともまた重要です。仮に高値圏であるとして、では値崩れを起こすのは来年か数十年後なのか、また高値圏であるにもかかわらず他の要因(有望な投資先がないなど)で堅調に推移することは考えられないだろうか。「高値圏かどうか」という疑問が内包している、本当に気に掛けている点は、手持ちの株をいま売るべきなのかどうかか、追加で買うべきタイミングを見極めたいからなのか、といったところではないか。であるならば最初に発する問いとしてふさわしいのは「高値圏か否か」ではなく「売買に適したタイミングかどうか」じゃないだろうか。
考えない投資というと強い意志が必要にも見えますが、習慣化してしまえば惰性でできるし、惰性になってしまえばわざわざ疑うなんていうめんどくさいこともしなくなるはずです。個人的には機動的な売買のほうがはるかに強い意志が必要になると思います。
機動的な売買か、愚直な一本調子か、どちらがいいというものではなくたぶん個々人との相性によって決まるものでしょう。濃淡もあります。「バリュー投資」というのも戦略のひとつであって、これはグロース株に見切りをつけることで無限に生じうる疑問の一部を無視して負担を減らしています。
というわけで投資戦略の必要性というものに目覚めました。片手間で資産運用しているような僕にとっては、上で述べたような疑問→判断→覚悟→実施のサイクルを徒手空拳で何度も回すのは負担が大きすぎます。ていうかたぶんプロフェッショナルでもこんなことやってる人はごく一部でしょう。
将来の夢は不労所得で生活することで、そのためにはまず資本金をせめて1億円くらいにはしないと難しく、ギャンブルめいた投資を無視するのは忍びなかったわけです。まあしかし仮に10倍株候補を見つけたところで、せいぜい100〜300万円くらいしか割り当てないだろうこと、10倍になる前に売ってしまうだろうことがだんだんわかってきました。ギャンブルめいた投資で疲弊するよりは、他のやり方でやっていったほうがいいと確信するに至り、その方法を模索し始めた次第です。